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文政12年創業、地域と共に歩んできたナイカイ塩業の歴史



地域/世代をつなぐ/人を大切に

地域と悠久の時を歩んできた製塩業



tatoubiのプロダクトの核を成す塩。私たちtatoubiは岡山県倉敷市児島に本社を置くナイカイ塩業(本社工場:玉野市)によって作られた塩を利用してエプソムソルトを制作している。 このナイカイ塩業、創業は文政12年(西暦にして1829年)まで遡る。
どんな時代なのか、と想像をめぐらすと、創業4年前の文政8年には幕府による「異国船打払令」が出ていることがわかる。


江戸幕府が日本に来航する海外船舶は攻撃することを決めた取り決めである。鎖国をしていた日本がグローバリズムの波に晒され、様々な外や内への弾圧を行っていた日本の過渡期と言える時期であろう。 児島ひいては備前国、そして日本を支えてきた製塩業。その地域と共に歩んできた歴史に瀬戸内の一番の核がある。  今年で創業193年になるナイカイ塩業は、7年後(2029年)には、創業200周年を迎える。児島野﨑家によって代々引き継がれてきた企業だ。
初代の野﨑武左衛門は、最初、足袋制作と農業で生計をたてていた。丁度、武左衛門が生きていた時代は大規模な塩田運営が藩によって行われており、彼もそれを見て塩業を志したのではないかと言われている。あるとき足袋の製造を全て辞め、その売り上げを元手に製塩業を興した。 変わりゆく日本の中で、彼は塩に未来を見たのかもしれない。
かつての野﨑浜(倉敷市児島)

ナイカイ塩業が興った場所は、児島半島と呼ばれる瀬戸内随一の歴史を持つ地域である。児島の北側は元々「吉備の穴海」と呼ばれており、児島はその穴海と瀬戸内海に囲まれた大きな島の一つだった。日本最古の歴史書である『古事記』にも国土中軸の淡路島などの大八州島の後の9番目に生まれた島として「吉備児島、またの名を建日方別(たけひかたわけ)」と記されている。

一帯では弥生時代の製塩遺跡、土器の出土もあり、少なくとも2000年以上前からはこの土地で塩作りを行っていたことが証明されている。ナイカイ塩業にその歴史と背景を聞いてみると、以下のように答えてくれた。


「児島半島は古事記や神話に残されるくらい歴史が深い地域だったわけです。昔から人が住んでいたということですね。それはつまり人は塩が無ければ生きていけませんから、塩をとる場所が必要だったわけです。当時は海の民と山の民の交流があって、山の人たちは必ず塩を海から入手していたわけです。人間が生きていく上で塩は絶対取り続けなくてはいけないという大前提がありますから。 日本では海水から塩を作るしか方法がないんです。岩塩も塩の湖という資源が日本にはないので。かつ何か月も雨が降らない季節というものもありません。つまり海水をただ陸に汲み上げて置いておけば塩が取れるという気候条件でもない。なので海水を上手く使って、そこから塩づくりをしないといけないんです。武左衛門が生きていたころには、入浜式塩田というものが既に日本国内で確立されていたので、それを使って彼は塩づくりを始めています。児島半島の歴史の中で武左衛門が塩に魅力を感じたことがナイカイの創業に繋がっているのでしょうね。そういった場所で、今も産業として児島半島の一端に当社のような会社が残っていて、古代から基盤があった土地で今も塩づくりを行っているということは凄く大事なことです。

 

2000年以上も前から行われている塩業を、今現在まで続けること。それは歴史のうねりの中でなんとか生き残ることを意味していた。それは別記事にてまとめている。


人を大切に。世代から世代へと丁寧に繋げていくこと。


ナイカイ塩業では、親子3世代にわたりナイカイ塩業に務めている家族が複数ある。祖父、父、そして息子に至るまでナイカイやその系列会社に務めている人々は珍しくない。地域貢献事業も数多く行っており、地域の人々、また勤めてきた一族への愛情がある国内企業の代表だ。ナイカイ塩業さんはそれについて以下のように答える。



今の社長は初代野﨑武左衛門から数えて7世代目になります。 ナイカイ塩業はずっと物事が続くというイメージでやっています。ダメなところはきちんと直して次につなげていくという感じです。それは私たちの前の世代の方々も、そう考えて私たちにバトンタッチしてくれているので、その次の世代にも残るようにしないといけないというのが自分たちの役職の立場もあるかなという感じですね。そういったイメージの中で、世界の流行に乗るというよりも、人を大事にしながら生業を行うことを意識しています。

 


グローバル化を経て新自由主義的な市場経済が強くなった現在、経済は不安定になり雇用は揺らぎ続ける一方。人間や生業をモノ化し、政治ではGDPの成長のみがただただ達成するべき目標として取り沙汰される。 

「今だけ金だけ自分だけ」…東京大学の鈴木宣弘教授の提言であるが、一部の強いものたち、例えばグローバル企業の利益だけを見て他のものの行く末は知らない、未来も知らないという政治の姿勢に警鐘を鳴らすために使われた言葉を用いて、それではいけない、後の世代のことも日本のことも考えて今を生きなければならない、と強く言った。



世界の変化の中で、ナイカイ塩業は、利益のみを考えて会社を進めず、丁寧に地元の人と共に生きてきた。

 

それは私たちが忘れるべきではない、「三方良し」と言える古き良き日本の繋がりの形なのかもしれない。


Writer
tatoubi art project / 山本 ちあき