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人間は塩が無ければ生きていけないー日本で塩を生産するということ
ものづくり/日本の歴史/これからの日本
※塩田画像はナイカイ塩業提供
人間は塩が無ければ死に至る。生命の源である塩、英語には「the salt of the earth」という言葉があり、訳すと「地の塩」となるが、「善良な人」という意味の成句であり、新約聖書でイエス・キリストが説いた言葉から来ている。
塩は遥か昔から、地球と生物に絶対的に必要なもの、必要不可欠なものであった。塩は古来から現在に至るまで歴史と共に、時には歴史を運命づける要素として存在し続けた。
前回の記事では、二千年以上前から製塩を行っていた岡山の児島半島において今もなお製塩を続けているナイカイ塩業の地域と共に歩んだ姿が見えてきた。今なお日本を代表する製塩会社の一つとして、営業を続けているナイカイ塩業だが、初代である野﨑武左門が1829年に創業してからの道のりは、波乱万丈の日本史と共にあった。 その日本の塩業とナイカイ塩業の歴史について管理部長の大内雄一郎氏にインタビューしたところ、詳しく語ってくれた。

ナイカイ塩業本社工場(岡山県玉野市) ナイカイ塩業提供
塩と戦争と日本
野﨑武左衛門が瀬戸内海で塩業を興したあと、日本では塩を巡り様々な取り決めが行われた。
最初は、1905年日露戦争への軍費捻出と国内塩業保護のために行われた「塩の専売制」、そしてその流れで行われた生産性の低い塩田の廃止などを行う「塩業整理」であった。

(以下引用文内全て大内さん):1904年からの日露戦争にあたって広く軍費を調達するということで1905年6月から国内塩業保護が始まり、9月には日露戦争が終わりました。 塩の専売制度にしてやっていこうということで始まったんです。塩の値段を調整して、国が生産量を決めてやっていくのが専売制度です。 その後もせっかく専売制度を始めたんだからってことで国は続けていました。それはつまり、効率の悪い塩田を廃止し、効率のいい塩田だけ残したんです。(※いわゆる塩業整理) その後は戦争前後で不安定な時代ですから、ロシアとの戦争が終わっても色んな意味での軍費をもっておかなければいけない。 そして塩は国民生活、人間に欠かせないものです。その塩の値段を上げると国民が生活に困るわけです。それでどんどん上げるわけにもいかず、目的を公益専売に変えようとしたのが大正になります。 それが92年間続いて、1997年まで塩の専売制度が続きました。 1888年には全国でその時に1万8千か所の塩づくりの場所があったんですが、専売が始まってから効率の悪い塩田は切られ、残された塩田は新しい技術を取り入れて行っていました。 けれども、1971年12月末には日本国内の全ての塩田が無くなりました。1万8千カ所から0になったんです。 我々の先輩にあたる方々は日本での塩づくりをどうしても続けたかった…。その状況の中で周りの環境の変化、国の政策の変更に対してなるべく生き残れるように選択していったんですよね。 1万8千あった塩田と事業所のうち今でも続けているのはナイカイ塩業だけなんです。それを考えたら、凄まじい変化の中でやってきたとしみじみ感じますね。 また野﨑家3代目の野﨑武吉郎は貴族院議員も務めまして、本人が色んな形で日本の塩業を守るために塩の専売制度を進めていったりというのもあったと思います。
日露戦争をはじめとした戦争の軍費のため、国内塩業の基盤整備と財政収入を確保するために明治政府は塩の専売制度を始めた。

海水から質のいい塩を効率良く作ることが国を挙げての目的となり、生産性の高い塩田のみが残され、また新たな方法を取り入れ生産が行われていた。
調整や塩専売法の発布などを経て国内塩業の様相は目まぐるしく変わっていく。1万を超える数があった塩田は度重なる調整で減っていき、遂には0になった。
その後、当時の大蔵省(現財務省)の認可を受けた7社のみに塩の生産が許される。そのうちの一つにナイカイ塩業が入っている。
自己資本で現在まで続けている塩業はナイカイ塩業のみであるが、 1997年に塩の専売制度が終了し、2005年には塩の完全自由化が実施された。
つまり、届け出を出せばだれでも塩を作ることができ、かつ輸入販売も許されるということだ。人間の生命に不可欠な塩が、自由競争の中へと組み込まれていく。
塩の価値の再確認ーー現代日本への危機感――
ナイカイ塩業は、自由化後「安ければいい」という価値観に偏りつつある現状に危機感を覚えていた。
塩は安いんだから外国から買えばいいじゃないか。という考え方を全ての日本人がするようになったら、国内塩業、製塩業は続かないです。 でも、その自分たちの命や健康を維持するために不可欠な塩を全て外国に頼るという選択をしたならば、戦略的な物資として海外から使われますよね。 外交などで日本人をちょっといじめてやれと思ったら輸出ストップとすればいいわけですから。 塩以外の産業だって、色んなものを日本国内でつくって維持していくことって物凄く大事なことなんです。 そういう流れの中で、塩が持っている価値というのは変えてはいけないものだし、その価値をきちんと知っていないと目先の物だけに、では安いものだけで行こうかとか、経営するとかなってしまったら大変なことになります。 塩事業をしてるから雇用がたくさん生まれるわけです。とにかく安い方向で行ってしまったら、外資が入ってきて、作る人は誰もいなくなってという結末になるかもしれません。
現在、国内には海外の安くてコストパフォーマンスが高い商品が続々と流入している。それは私たちに様々な商品を安く、早く手に入れることを可能にさせてくれた。
しかし、それと同時に国内の農家や企業が淘汰され、消えていったのも事実だ。「自由競争に負けたのだからしょうがない」と言えばそれまでだが、例えばインフラや塩といった暮らしと生命維持の活動に必須なものにも同じことが起きていることを知ったらどうなるのだろう?
国内のものが全て海外産にとって代わられた後、もし災害や世界を覆う戦争が起き、海外産のものが日本に届かなくなった時、私たちはどのようにして生きるのか。
その想像力を持ち、今ここ…現在性を持って暮らすことが今の日本人には、欠けているのかもしれない。
私たちは今ここから、自分の生命を維持しているもの、暮らしを支えているものを知り、きちんと向き合うべきなのではないか。
人間は塩が無ければ生きていけない――その事実を知り、是非国内塩業の歴史と現在を想像してみてほしい。

Writer
tatoubi art project / 山本 ちあき