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真っ白なキャンバスとしての美術館

離島/美術館/インディペンデントスペース

「何も決めないでやる」松島分校美術館の即興的な空間



瀬戸内海は古来「備讃瀬戸」と呼ばれ、備前、備中、讃岐の国に跨る日本一の内海であった。それぞれの国には多くの島々があり、全てを含んだ瀬戸内は美しい多島海…そして多島美と称される景観を保持していた。 そんな備讃瀬戸の中で、丁度備前、備中、讃岐それぞれの統治を受け、不思議な所属の遍歴を辿った小さな島がある。児島駅から車で10分ほどの下津井港から船で更に5分ほどの場所にある離島、松島である。そしてその学校跡地に作られた美術館があり、松島分校美術館という。 今年の海の日には、この松島分校美術館にてTatoubiのオープニングイベントを開催し、ブランド紹介やワークショップを行ったが、それも好評のうちに終わった。離島でこのような様々なイベントを行う松島分校美術館の開館経緯とその想いを、館長である片山さんにお伺いしてきた。


松島にある、松島分校美術館。元々あった学校跡地を再利用している。





「土地の記憶を守って」



片山さんは倉敷市出身の美術家であり、現在も倉敷芸術科学大学や倉敷短期大学などで講師を行っている。片山さんは生まれてからずっと倉敷に住み、美術家として活動する中である想いが生まれてきたという。


美術家っていつもゲストの立場だなあ。と感じたんですよね。アート業界では学芸員、評論家らがいつもメインでいて、作家や参加者はゲストとして展覧会やイベントに参加して、その場限りで終わってしまう印象を受けていて。その想いがあって、自分も含め、芸術家がゲストで終わらないための行動をしようと思いました。

 


元々は吹上美術館というスペースを下津井にて主催していた片山さん。それも市から空き美術館を使っていいという申し出から始まった試みだった。あまり大層な場所ではなく、一日でふらりと立ち寄れるような場所にということで作られた吹上美術館は、下津井の街並みに馴染んだ自由なスペースであった。


松島に向かう航路から見える、瀬戸大橋。


個人の感情から活動は始まって、美術館は偶然の出会いでしたね。さっき言った活動をし始めて、市などと関わる中で空き美術館で何かしてみませんかというお話を頂きました。自分の中では美術館をやろうという気持ちはそれまで持っていなかったのですが今でも美術館という体裁にこだわらないのは、そういう美術館をやろう!という気持ちの始まりではなかったからかもしれません。 なので美術を飾る場所でもありますが、それよりも自分たちも来てくれた作家もゲストとして終わらず、自分事として参加して関係して欲しいと思ってここを運営しています。僕がどうしたい、というよりも来てくれるひとたちがやりたいこと、したいことに応じて色々形を変えるスペースでありたいと思っています。僕たちだけでなく、来てくれたアーティストを含めた色んな人、なんなら下津井の漁師さんたちも含めたそれぞれの考えや視点が集まって場を作り上げて行きたい。




そして吹上美術館を運営した後、松島のかつての学校跡地を利用した美術館である松島分校美術館が開館することになった。準備を行い、開館しようとしたその時、かの倉敷豪雨災害が発生してしまい開館は見送りに。2年目にしてやっと、GWに5日間自由形のイベントを行った。その後は、AIR(アーティスト・イン・レジデンス)としてメインで使うこととなり、丸一年、デンマーク、オーストラリア、アイスランドを始めとした各国の人々がAIRにて滞在し、制作を行った。 倉敷市と深く結びついて美術館を運営する身として、行政とアートの関わり方についてどう思うかと片山さんに聞いてみると、

やはり近場でいうと直島などがいい例ですが、アートは地域のブランディングや地域資源の保存にも繋がっていくので、それを行政は守っていくためにも推進していく責任があると思っています。やはり、地域の芸術文化や土地に根付く文化が消えゆく中では積極的にそれを守っていかなければいけないですよね。けれども専門的な部分は行政の方々はわからないから、そこを美術家である僕やアートの素養がある人が手伝っていけばいいと思います。 現在僕は倉敷市の社会教育委員と文化振興課の振興基金の委員長というのをやっています。生涯学習施設がどのように使われているのか、市民として意見する立場なのですが、こういったとこからそういう行政とアートを上手く関わらせる試みを一歩ずつやっていっています。

 



消えゆく地域の歴史と記憶を残していく試みは現代に置いて必要なことであり、地域アートは最近でも多く振興が進められている。しかし、最低限の美術の素養と批評性も担保することは必要であり、それをアートに精通した人々が委託される形で取り行うのがベストなのだろうか。



使い方や意味を「決めない」美術館



片山さんは美術館としての松島分校美術館を説明する際に、多々「決めない」という言葉を使う。それは先述したように、一つの目標を設定してそこに一方向的に向かっていくというよりも、可塑性を持ってその都度変化していけるスペースを作りたいということを示している。開かれた空間、受け入れる余裕がある自由度を持った場所について片山さんはこう語る。



今回のTatoubiみたいに、製品やブランドの宣伝として使いたいという話がきたのは、この場所を自由な受け皿として開いているから話が来たんだなあと思っています。普通の美術館らしい美術館だと、企業の宣伝に使われたら困りますって断ると思うんですよね。そこを受け入れられたのが、こういう場として運営していて良かったと思える部分です。イベント自体も、Tatoubiの担当者である山崎さんと山本さんも凄くいい人たちだなと思って。懐かしいといいますか、人の温かみがある感じで進めてくれたのが僕としては嬉しかったですね。内容も企業でおしゃれにカッコつけないで、人柄が出ていて良いイベントでしたね。企業やブランドイベントは派手に!バズって!っていうのが今の普通だと思うんですが、Tatoubiのイベントはそうじゃなかった。松島という離島では、普通の会社がやるような奇をてらったイベントよりもこういう素朴で温かいイベントが合っていたと思います。みんなでわかめごはん食べたりね(笑)

 



現代では目的を掲げ、それにむけた一方向的な成長や行動が求められ、トップダウン的な指揮系統を取ることが多い。しかし、次なる時代の多様性が唱えられる今、それぞれが自由な点として双方向的に関わりあうような世界(リゾーム的と言える)が次のスタンダートであるべきだとTatoubiはコンセプトの中で示している。開かれた場所で、様々な人たちと関わりあいながら作られる美術館。松島分校美術館のこれからは、真っ白なカンバスのように自由だ。

Tatoubiオープニングイベントの様子。詳しいレポートはこちらから。



Writer
tatoubi art project / 山本 ちあき